時代はジオウからゼロワンへ【仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション 考察・感想】

公開二日目に『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』を見ることができた。

タイトルに含まれる『令和』という元号。そして、平成ライダーの集大成的作品“ジオウ”と令和の1号ライダー“ゼロワン”の共演。これらの文脈から、平成ライダーが~という前作劇場版からの流れで、令和ライダー絶対許さんおじさんの登場を身構えていたが、本作は全くそういう趣旨の映画ではなかった。

この映画で語られるのは、仮面ライダーゼロワンの物語だ。決して「令和も醜くない?」とかいう内容ではない。

タイムジャッカーの介入により変わってしまった歴史を修正するため、或人はソウゴ達と共に12年前に飛んだ。その歴史修正の過程で、デイブレイクの日に何が起こっていたのかが明らかになっていく…というあらすじの作品だ。。

『エピソード0』的な物語が劇場版やOVA等で語られるのは、平成二期以降の常套手段であり、令和になってもその流れは変わらないようだ。約10年前、仮面ライダーWで映画公開の時期が近付くと、やたらビギンズナイトを連呼しだしたのが懐かしい。

理想を掲げるヒューマギア

本作では、テレビ本編ではあえて(?)あまり語られていなかった或人の育ての親のヒューマギア『飛電其雄』にスポットが当たる。『父さんを笑わせたい』という少年時代の或人の願いを受け、其雄は『人間とヒューマギアが共に笑える世界』を目指していた。

また、其雄を慕いながらも『ヒューマギアが笑える世界』という似て非なる理想を掲げ、人間に対して良からぬ思考が芽生えたことで、それを利用されてしまうヒューマギア『ウィル』が登場する。

テレビ本編でのヒューマギアのシンギュラリティといえば、滅亡迅雷.netに利用される対象にはなっても、人間に対しての悪い感情から発生したことはなかった。ウィルがシンギュラリティを迎えていたかは定かではないが、どこで“勉強”したのか(それこそアークの影響を既に受けていたのかもしれないが)彼は人間に対する明らかな負の感情を持っていた。

このヒューマギアの存在は新しくもあり、恐怖でしかない。後のハッキングされていない悪のヒューマギア…滅亡迅雷.netの誕生を予見するような出来事だったのではないだろうか。

是之助社長がウィルに対し「よく勉強しているじゃないか。」とごまかした態度しか取れなかったのも頷ける。この社長の言動に、ブラック企業のソレのような違和感を感じた人も多かったようだが、まさかヒューマギアにこんな思考が芽生えるなんて、この時点では誰も考えられなかっただろうし、驚きが勝っての発言だったのだろう。

しかし、其雄への尊敬の念を持ちながらも、ニュアンスの違う理想を掲げてしまうことで真逆の方向へ行ってしまうウィルは、誰よりも人間らしいヒューマギアの一人だったのではないだろうか。これはクソデカ感情案件ですわ。

そんな中、其雄は自身の理想のためにゼロワンドライバーを開発する。しかしそれは、ヒューマギアによる兵器の開発、という事実として人間に受け止められてしまう。これらの其雄の行動への不信感の植え付け方が上手かったこともあり、其雄が或人にゼロワンドライバーを託した時、つまり或人の戦う理由と其雄がゼロワンドライバーを作った理由が一緒だとわかった瞬間のカタルシスにはたまらないものがあった。成長し、社長となった現在の或人が、自分でも気づかぬうちに其雄と同じ理想を掲げるようになっていたのだ。思わず一人にやけてしまう熱さだった。

福添副社長の可能性

私がゼロワンの中で、もっと背景を補完して欲しいなーと常々思っていたキャラクターが、福添副社長だ。

彼と是之助社長との間には、大きな約束や共通の夢があるのではないだろうか?とはずっと期待しているが、 本編では未だ“出世欲の強い嫌な奴”以上のキャラクター性を見ることはできていない。ずっとただの児島のままだ。が、あんな最先端企業の創業社長の元で出世してきたからには、絶対にただの世渡り上手なだけの人間なわけがないんだよ。

本作では、ついにその片鱗(あくまで片鱗)を垣間見ることができたように思う。 是之助社長の死の直前、会社の未来を託される児島。その想いを受け取り、必死に衛星の打ち上げという夢に向けて邁進する児島。これは立派な福添次期社長候補ですわ。アナザーゼロワンへの恐怖で、社長が殺されるのを黙って見ているしかなかったのは児島っぽくはあるが。(おれはアンジャッシュ児島氏を何だと思っているんだ。)

もちろんこれらは、タイムジャッカーが生み出したifの世界でしかない。しかし本来の福添副社長は、熱い気持ちと是之助社長へのリスペクトも持ち合わせた人物なのだろう。人は一つのきっかけで、児島になるか、福添次期社長候補になるか、その未来が決まるのかもしれない。

新時代のアクション

本作の一つの目新しさのポイントとして、アクションシーンが挙げられるのではないだろうか。

冒頭の学校内での生身のジオウ勢VSヒューマギアのシーンは、かなりコマ数の少ないカメラで、学校内を縦横無尽に駆け抜けながら3人の戦いをワンカットで描く、という今までにはあまり見られなかった撮影方法が採用されており、キングスマンの教会での大乱闘シーンを彷彿とさせられた。

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また、レジスタンスのアジトの1階でバルカンが、2階でバルキリーが戦う、という縦の構造を上手く利用しての戦闘シーンにも目新しさを感じた。

たしか、仮面ライダーWの劇場版である運命のガイアメモリの時だっただろうか。坂本監督のアクションシーンを初めて見た時のような衝撃と新しさを今回の劇場版にも感じることができた。

時代はジオウ(平成)からゼロワン(令和) へ

視聴前は、平成ライダーが~令和ライダーが~というメタなくだりを今回も取り扱うのかなーと考えていた。しかし、前述の通り本作はそういった内容の映画ではなく、作品内に『令和』という言葉は一切登場しなかった。

それこそが、時代がジオウ(平成)からゼロワン(令和)へ移り変わったことを再認識するきっかけになった。平成ライダーのお祭りは『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』で後夜祭まで終了しており、真っ新な舞台でゼロワンが開幕している。ジオウは既に先輩ライダーなのだ。

令和ライダーという言葉は、時代を俯瞰して見た者にしか知りえない言葉だ。ぜひ10年後の令和ディケイドにジオウが登場してやってくれ。

すっかり先輩ライダーとなったソウゴ君だが、時折見せる彼のシリアスな表情は、オーマジオウ化を経て更に深みを増していた。その素晴らしさはジオウのテレビ本編後半で既に感じてはいたが、完全に先輩ライダーのソレになっていた。本当に素晴らしい。かつてこんなに1年間で表情の変わった人間がいただろうか。

映画としては正直言うと、

ソウゴ「アナザー新1号はゲイツのタイムマジーンを吸収したから、あいつを倒したら歴史は修正されるよ!」

ぼく「???」

ソウゴ「或人の記憶を消すためにしばく!」

ぼく「???」

っていう劇場版のいつものノリもあった。そのガバガバ具合を超越する“何か”があるかどうかが映画を面白く思えるかの分岐点なわけだが、本作は間違いなく、それを超越するための熱さやエモさを持ち合わせた映画だった。

特に、ポニテレジスタンスの刃唯阿ちゃんがめっちゃ可愛かったのでもう一度見いに行きたいです。

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