待ちに待った『トクサツガガガ』実写化ドラマの放送が始まった。
特撮パートの作り込み、原作の良さが活きている脚本、それぞれのキャラクターの表情、どれをとってもすごく良い実写化でだった。しかし良すぎるが故に、実写化された嬉しさと視聴後の気持ちに矛盾が発生しているような気がしたので、第1回の感想と合わせて、そのことについても記してみる。
胸に刺さりまくる名言の数々
放送開始前から番宣に尋常じゃない気合が入っており、事前情報として漏れてきたジュウショウワンスーツやグッズの作りこみからもクオリティの高いものになることは予想できてはいたが、それを上回る素晴らしい実写化だった。原作から序盤の名言の数多くが第1回に凝縮されており、特撮作品が好きな人にとっては必ず胸に刺さる部分があったのでではないだろうか。オタ趣味が親にあまり良い目で見られていなかった経験がある人は、心がキュッとなっただろう。
カラオケでのエマージェイソンネタの実写化は、無駄に大きなスケールでかなりの熱量が凝縮された表現になっており、すごく笑えた。合いの手のようにアドバイスを送るエマージェイソンはかわいいし、見事にこの試練を乗り越えた仲村ちゃんのキメ顔もめっちゃよかった。
ところでこの作品、実写化したら美人過ぎて原作と別人問題が発生しそう、とも思っていたが、そもそも仲村さんって設定上は『ダサい女』みたいなのは無いんだったか。私が勝手に漫画での服装とか見てそう思ってるだけだった。むしろ女子力高いと思われてる設定なんだよな。そして、小芝風花さんの仲村ちゃんに、やっぱり…かわいいのはいいことだって気持ちにさせられてしまった。
作品のメジャー化と内容での自己矛盾
すごく楽しく視聴できたものの、1つの矛盾する気持ちが発生した。
トクサツガガガがドラマ化されメジャーになることで、番組内での「自分の好きな物を悪く言われたり嫌われたりするのってものすごく怖いことなんだよ!」というセリフが強く思い返された。この番組が胸に刺さりまくるだけに「オタクの生態を真正面から描いているこれがお茶の間に流れちゃうのか!」って気恥ずかしさと、「これ非オタが見たらどう思うんだろう…」という怖さが、心の中に生み出されてしまっている。作品がメジャー化するということと、その内容との間に自己矛盾が発生しているのだ。
もちろんこの辺の感覚に同意を求めるつもりは更々無く、そもそもこの感覚があるかどうかは世代や置かれていた環境によって様々だと思う。オープンな家庭で育っていたり、強い心がある人は、なんら感じていないかもしれない。
しかし、トクサツガガガが好きって人は、この矛盾に陥ってしまうのではないだろうか。少なくとも私は仲村と同じように、仲間(特オタ)には見て欲しいがその他の人はどう思うんだろう…ということが気になってしまった。「仲間は欲しいが、オタバレしたくない」底の部分ではこのセリフと同じ気持ちだ。
私もこのブログは会社の人には見られたくない。
この問題の解決は、結局は作品自体が面白いかどうかにかかってくる。面白ければ、私達も好きを肯定する気持ちを強く持てるし、その他大勢に受け入れられる可能性もある。この自己矛盾さえもジュウショウワンやエマージェイソンが打ち破ってくれるかもしれない。
※最終回の考察・感想を書きました。
仲村が見た3度のエマージェイソン最終回と毒濁刀を捨てたシシレオーと仲村親子【トクサツガガガ(ドラマ) 最終回 考察・感想】