仮面ライダービルドという物語では、3つの都市による戦争、エボルトによる破壊行為で、たくさんの人々が亡くなったはずだ。
仮面ライダーグリス、仮面ライダーローグといった仲間までもが次々と倒れていった。
この物語をハッピーエンドで終わらせるには、全てを“無かったことにする系”の結末しか考えられなかった。
そして最終回では『並行世界の地球との融合』によりビルドの世界の過去10年が改変され、予想通り全てが無かったことになるという結末を迎えた。
しかしその手段は、ビルドの世界の人々が度重なる不幸の中でも懸命に生きてきた事実までも無かったことになってしまうやり方であり、「ハッピーエンドだ!」と胸を張っては言いづらい結末となった。
桐生戦兎の選択とその代償
ビルドの世界を救うための手段として、過去改変を実行するという戦兎の選択は、相当重い。
『エボルトを倒して世界に平和を取り戻し、スカイウォールは人間の科学の力で今後なんとかする。』それが、ヒーローとしてまず考える“ラブ&ピース”のための最善の方法だっただろう。
そして実際にエボルトと何度も戦った。
だが圧倒的な力を持つエボルトを前に、父親が考え出した『並行世界の地球との融合』の過程でのエボルト消滅と過去改変によるスカイウォールが出現する前からのやり直し、を選択した。
それは、シュタインズゲートで岡部倫太郎が過去改変を行ったことでたくさんの人の想いを踏みにじったと後悔したように、スカイウォールのあるビルドの世界でも幸せに生きていた人の過去をも無くしてしまうことになる。
ビルドの世界の延長線上には、エボルトによる地球の消滅しかありえないのであれば、それよりはマシかもしれないが。
そして『並行世界の地球との融合』の影響はビルドの世界だけに留まらず、融合先の世界にも何らかの影響を与えてしまうことも明白だ。
同じ特撮ヒーロー作品では、ジュウオウジャーでも世界とジューランドが融合してジューマンと共存する、という結末があった。(ジューマンは隠れて暮らしており正確には共存ではないが。)
作品のテーマとしては正解なんだが「世界がとんでもないことになっちまったぜ!」とどうしても考えてしまった。
しかしそこには過去の改変までは含まれておらず、スカイウォールが存在しない皆が幸せであるであろう世界をも巻き込んで過去10年を作り変えるという結末は、それ以上にとんでもない。
融合先の地球の人間からしてみれば、たまったもんじゃない。
それでも戦兎はビルドの世界の“ラブ&ピース”のため、エボルト・スカイウォール・戦争のない世界への切符として『並行世界との融合』という手段を選択した。
これは「絶対にみんなを救いたい」から「考えうる中で最良の選択」に切り替えたってことだと思う。
主人公キャラの思考としては、前者を諦められないことが多い。
しかし、後者に切り替えることができたのは、戦兎が科学者だから合理的な考えにいたったと考えるとすごく納得がいく。
しかしその代償として、戦兎は自分の事を誰一人として知ることのない新世界で生きていくことになった。
ついつい無戸籍で身分証明に苦労するだろうな…とか考えてしまうがそれは一旦置いておく。
いや、もしかしたら(おそらくこちらの世界にもいるであろう)葛城巧や佐藤太郎とは別人の桐生戦兎という人間として存在できるようになったのだから、喜ばしいことかもしれない。
それでも自分が生きてきた足跡、家族や仲間、自分のことを知る人、何もない世界で一人で生きていかなければならないのが辛くないはずはない。
万丈龍我という救済
しかしそんな戦兎にも救済が用意されていた。
この世界にも“あっちの万丈”が存在した。
何故かはわからない。新世界の神である(?)戦兎が望んだからなのか、時空の裂け目にいたからなのか。
仮面ライダービルドという物語で、ずっとお互いのピンチを助け合ってきた二人が、最後には本当に二人きりになった。
お互いのことを他には知る人物がいない新世界で、旧世界での第1話と同じようにバイクを走らせてどこかへ向かうという演出には、グッとくるものがある。
少女終末旅行でチトとユーリが世界をあてもなく旅する様を思い出した。
仮面ライダービルドは元々は“バディもの”という売り出し方ではなかった。
真司と蓮、天道と加賀美、翔太郎とフィリップ、進ノ介と霧子、平成仮面ライダーにも色々な相棒の形があったが、ここまでバディものらしいラストはなかったように思う。(当初からバディものと謳っていたWやドライブは最後は家族というテーマに落ち着いたなと個人的には思っている。)
これ以上ない精神的なBL(?)、ブロマンスの物語だった。
でもね、一番印象に残っているセリフは結局これだよ。
万丈「あっちにめっちゃ涼しかった場所あるから、めっちゃ涼しいよ。」
新世界の万丈が幸せそうでよかったね。そっちにあるのは幕張メッセだけど。