刃唯阿にかけられた“正義”という名の呪い/ゼロワンの矛盾と残されたライダーの戦い【ゼロワンOthers 仮面ライダーバルカン&バルキリー 感想・考察】

ラストシーンでの突然の自己破壊行為により、劇場中の空気を凍りつかせたまま幕を下ろした『ゼロワンOthers 仮面ライダー滅亡迅雷』から早半年。仮面ライダーゼロワンの完結を謳う作品『ゼロワンOthers 仮面ライダーバルカン&バルキリー』が緊急事態宣言の最中、劇場公開を迎えた。

炸裂する或人のギャグ、解説するイズ、笑いを必死で堪える不破、そんなゼロワンらしい幸せな最後を迎えさせてくれるよな?という期待と共に、まさかな…バルカン…滅亡迅雷…お前ら死なないよな?という一抹の不安を抱え劇場に足を運んだわけだが、的中したのは見事に後者の方だったわけだ。

滅亡迅雷.netが(肉体的な意味で)救われることはなく、2号ライダー不破諫までもが命を落とす結末を迎えた。正確には命を落としたかどうかはわからないが、明らかにそういった意図の演出が見て取れた。

最終回後の後日談となる劇場版のREAL×TIMEに感じた、ゼロワン世界の未来への希望から一転、こんなビターエンドを迎えることになろうとは…。

あまりのやるせなさ、せつなさを消化するため、刃唯阿様の美しさを確認するため、二回見た。不破諫、滅亡迅雷.netについては既に至るところで語り尽くされている感もあるので、残された仮面ライダー達についての感想と考察を記す。

刃唯阿にかけられた呪い

本作は、不破諫と滅亡迅雷.netを送り出すための立派な花道だったと思う。

不破諫は「オレのルールを貫く」という生き方を最後まで貫き、滅亡迅雷.netは「行き過ぎた正義は時に悪となる」というメッセージを後の世代に託した上で、彼らをリオン・アークランドから解放した。

不破諫の『生き様』を、滅亡迅雷.netの『意思の強さ』をしっかり見せる。彼らの生きた証を残すための作品だった。

そんな中、一人取り残された者がいる。

仮面ライダーバルキリーこと刃唯阿だ。

ゼロワンOthersの冠を授かった者の中で、彼女だけが自分の正義を全うできなかった。

仮面ライダーバルキリーはゼロワンの中でも随一の正統派仮面ライダーだ。一企業の社長でもある本作の主役、仮面ライダーゼロワンより古風で真っ直ぐな正義を持っていると言ってもいっても良いかもしれない。

彼女は、自分の中の正義を「命を守ること」と定義している。それは、かつての初代仮面ライダーが正義のためではなく「人間の自由のため」に戦っていたことに似ている。

人間の自由。その根幹にあるものは、紛れもなく人間の『命』だからだ。

本作では、そんな仮面ライダーバルキリーこと刃唯阿の正義を形成した過去の経験も語られた。

かつての恩師が、自身の開発した人工知能が人の命を奪ってしまったことで、その職を辞した。この経験が彼女の中に今も生きており、今の彼女の技術者としての信念と責任感、現実主義者的な人格を形成しているのではないか。

まあこのシーン、一回目の視聴時はメガネの井桁ちゃんのあまりの良さに教授の話がぜんぜん頭に入ってこなかったんだけど。今はコンタクトなんだね、唯阿様!そして学生時代のちょっとダサめの服装から、卒業後は私服に肩出しコーデをチョイスするまでに垢抜けたんだね。いいぞ、唯阿様!

この唯阿様の学生時代から現在までの服装の変化に見る、彼女自身の変化を妄想する考察するのは非常に楽しい。楽しいが、本文の趣旨とはあまりにもかけ離れるのでそれは置いておく。

本作ではそんな彼女の近くで、滅、亡、迅、雷、不破、ソルド20、リオン・アークランドとたくさんの命が奪われた。もちろん、彼らが死んだのは彼女のせいではない。しかしながら、彼女だけが「命を守る」という自分の正義を貫けなかった。この事実が、滅亡迅雷.net、不破諫なきゼロワンのその後の世界を刃唯阿が生きていく上での辛さ、過酷さ、罪悪感などを想い起こさせて辛い。

あの時、亡を止めていれば…。あの時、不破に違う言葉をかけていれば…。彼女がそんな風に思わないわけにはいかないだろう。

かつて、仮面ライダー555で海堂直也はこう語った。

「夢ってのは呪いと同じなんだ。呪いを解くには、夢を叶えなきゃいけない。……でも、途中で挫折した人間はずっと呪われたままなんだ。」

一方、仮面ライダーゼロワンで刃唯阿はこう語った。

「私に夢は無い。でも信念がある……技術者としての信念が。」

呪いに変わる夢を持っていなかった刃唯阿だが、彼女にはそれに匹敵する信念、そして正義がある。『貫けなかった正義』もまた『叶わなかった夢』同様、呪いとして彼女に重くのしかかってしまうのではないだろうか。

ゼロワンの矛盾と残されたライダーの戦い

仮面ライダーゼロワンという作品には大きな矛盾が存在する。

飛電或人が『人とヒューマギアが一緒に笑える未来』を夢見て戦う姿を描くために続編となる作品を作ると、その度にヒューマギアが悪業に利用されてしまい、理想の未来がどんどん遠のく。本作がまさにそうだ。

「また滅亡迅雷.netがやばい事件を起こしたのか!」

世間は間違いなくそう判断しているだろう。大門寺国防丁長官は「人工知能は人型で運用すべきではない。」と主張したが、世論はそういう流れになって当然だと思う。

ヒューマギアは道具ではないと認めるようになった刃唯阿は、今後も彼らの自由を、そして命を守るために戦うのだろう。実際にラストの記者会見のシーンでは、宣戦布告ともとれるような形で国防丁長官にたてついた。また、飛電或人は自分の夢をかなえるため、一企業の社長としてヒューマギアの開発を続けるだろう。

両者ともに国と真っ向から対立することになる。

その後、TTFCで公開されている『仮面ライダーゲンムズ』で社員(ヒューマギア)への愛を説いた天津垓を含め、ヒューマギアをめぐる『残された3人の仮面ライダーVS国家』の戦いは確実に起こるだろう。

ハッピーエンドが見えない混沌の世界だ。

ヒューマギアの扱いを巡っての政治レベルでの戦い。待てよ…なんかこれ過去にゼロワン本編の中で見た展開な気がする…。

そう、お仕事5番勝負での演説対決だ。そこからZAIAが国に置き換わり、天津垓が大門寺国防丁長官に置き換わっている。自治体と一企業同士の戦いから、国を中心とした大きな規模の戦いへ移行しているのだ。

本作で刃唯阿は民主主義の危うさを説いた。だが今の日本は民主主義の国。大門寺国防丁長官が民意で選ばれた自らの正しさを主張した通り、この戦いを終わらせるには民意を変え、政治を変えるしか無いのか?

選挙だ!だれか今すぐMCチェケラを呼べ!(繰り返される悪夢)

物語がループしているようにも見えるが、相手は自治体と企業から国に変わった。今度こそ…国がヒューマギアを認めるようになった時こそが、刃唯阿の正義が貫かれた時であり、飛伝或人の夢が叶う時だ。

今回の戦いで、その道が更に厳しいものになったのは間違いない。それでも或人達は、今度は国相手にこの議論を巻き起こすまでに至った。はるか遠くに見える夢にむかって着実に一歩ずつ進んでいるのかもしれない。

本作でゼロワンは一応最後ということなので、この先の展開は映像作品として描かれることはないのだろう。それでも我々はイズ、ソルド20、厘と残された仮面ライダー達にお付きの美人ヒューマギアが揃い踏みする画が見られなかったのは心残りですね。あ、違った、或人くん達の夢が叶うのを見届けられなかったのは心残りですね。

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