『音楽を演奏することが好き』な人が『音楽を聴くことが好き』な人に対して感じるコンプレックスの正体

特撮ソングカバーバンド『海賊版戦隊セイクリッドヘキサゴン』のギタリスト、ヤマシタです。

あなたは、様々なジャンルの音楽を聴き漁ることを趣味にしていたり、ライブで初めて聴く楽曲で涙を流せるような「コイツ、全力で音楽を楽しんでるなあ…。」という人に対してコンプレックスを感じたことはありませんか?

私はよくあります。

そんな事を思い出したのは、ドラマーの海保けんたろーさんのブログで以下の文章を目にしたのがきっかけでした。

そんなことを考えてるうちに気がつきました。

ぼくは音楽を聴くことが好きなのではなく、音楽を演奏することが好きなのだ、ということに。

ミュージシャンが音楽好きとは限らないので優しくしてください

読んだ瞬間、「あ、おれもこれだ。」と思いました。

もちろん私にも好きな楽曲はたくさんありますし、音楽を聴いて感動もします。

しかし、自分で音楽が好きだと思っている割には、必要以上に過去の名盤を漁ったり、流行りの音楽を追いかけたりはしないし、アーティストのライブに足を運ぶ回数も多くはありません。

そのことを自分自身で不思議に思うこともあったのですが、その理由は自分が『音楽を聴くことが好き』よりも『音楽を演奏することが好き』な人間だからだと理解することで、すごくスッキリしました。ギターの教則本が大好きで、教則本に載っている課題曲ばかり練習しがちになるのもこの理由で説明がつくな、と思います。

しかし、スッキリした反面悔しくもあります。

悔しく思っているのは『音楽を聴くことが好き』という人に対してコンプレックスを感じているからです。本記事では、そのコンプレックスの正体について考えてみます。

『音楽を聴くことが好き』な人の特徴

まず、『音楽を聴くことが好き』な人とはどのような人のことでしょうか。私個人が思うに、以下のような特徴を持っていると考えています。

楽曲の良いところを見つけて楽しむことができる

初めて聴くアーティストやジャンルの音楽が全然楽しめない、名盤と言われているCDを聴いても「ふーん。」以上の感想が出てこない…といったことはありませんか?

私はあります。というかめっちゃある。

しかしながら、『楽曲の良いところを見つけて楽しむことができる』人っているんですよ。

たまたま行ったライブに出演していた全然知らないアーティストの楽曲でノリノリになれたり(もちろん本当にライブが素晴らしくてそうなることはありますが)、ピンク・フロイドの『狂気』に初聴で興味を持てたり。

極端な例だったかもしれませんが、これができる人は『音楽を聴くことが好き』なんだろうなと考えています。

もちろん、「良いと感じない物を無理やり楽しむ必要はないよな。」という考えもあります。しかし『楽曲の良いところを見つけて楽しむことができる』人の方が、人生楽しそうじゃないですか。

音楽に対する感受性が強い

音楽を聴いて涙を流したことがありますか?

私はありません。

しかしながら『音楽を聴いて涙を流したことがある人』は確実にいます。

音楽を聴いて気持ちが高まる、ワクワクするという方向への感情の変化は、私にもすごくよく理解できます。しかし、『泣く』という方向に心を動かされるということが理解できません。そして、『泣く』というのはかなり強く感情を揺さぶられないと発生しない現象だと思うんです。

どうやら、音楽から私の理解できない『方向』と『強さ』で影響を受ける人種が存在するようだ。

そのようなセンサーをもった人達も『音楽を聴くことが好き』な人に当てはまると考えています。

『音楽を聴くことが好き』な人に対して感じるコンプレックスの正体

さて、これまでに私の思う『音楽が聴くことが好き』な人の二つの特徴について説明しました。

  • 楽曲の良いところを見つけて楽しむことができる
  • 音楽に対する感受性が強い

私はこれらを持ち合わせていません。

こういった傾向のある人に出会うと「あ、この人は今この音楽を楽しめているのか…。」と羨ましく感じてしまいます。

しかしながらここまで考えた結果、私がこれらの人に対して感じているコンプレックスの正体がはっきりしてきました。

それは、これらの要素がミュージシャンとしての才能にも関わっている気がして、そうでない自分は才能かないと思ってしまっているからです。

言い換えると、私は『音楽を演奏することが好き』なので楽器の演奏が上手くなりたいと考えおり、上手くなるためには『音楽を聴くことが好き』であることは重要だと考えているから、ということになります。

その理由を、『楽曲の良いところを見つけて楽しむことができる』という観点から語ると、知識のインプットを義務と感じずに色々な音楽を好き好んで聴けるのは楽器を上達する上で有利だからです。

例えば、「ここのバッキングはあの曲みたいな雰囲気でいこう!」という会話についていけなければ、ミュージシャンとしてのコミュニケーションに苦労するのはわかりきっています。たくさんの音楽を知っているほど有利と言えますが、そう言った音楽的教養を身に着けるのに、“好き”という理由以上の強みはありません。

次に、『音楽に対する感受性が強い』という点について。

これは、『音楽を聴くことが好き』という状態が『泣く』等のわかりやすい行動に現れることで、自分の感受性の低さが相対的に露になり『音楽を聴くことが好き』ということへの自分の才能の無さに絶望してしまうからです。

更に、自分が音楽で泣けないのに他人を感動させたり泣かせるような演奏ができることはあるんだろうか?という気持ちになります。

以上が、私が『音楽を聴くことが好き』な人に対して感じるコンプレックスの正体です。

『音楽を聴くことが好き』になるには

では『音楽を聴くことが好き』になるにはどうすればよいのか。

それはもう、勉強だと思っています。

そう、最初は無理やりにでもたくさん音楽を聴き、情報を仕入れ、現場に足を運ぶ。結局これなんだろうな、と。

勉強すればアーティストや音楽の持つ物語を知ることができ、知ること事態が楽しくなれば更に音楽への興味が湧き、何が面白くて何がオリジナリティで何が泣けるほど尊いのか、ということも理解できるようになる。

こういう状態を自分自身で作りあげなければならない…というのが現時点での私の結論です。『音楽を聴くことが好き』という状態は、圧倒的な知識と理解・経験に裏打ちされた感情や興味から発生しているのではないでしょうか。

そういうことじゃなくて…ハートで感じる物があるやろ!的なことを言われたら理解不能で泣きます。

最後に

ここまでグダグダと長文で語ってきましたが、もちろん音楽の楽しみ方は人それぞれでよいと思います。

私は『音楽を聴くことが好き』に憧れの気持ちはありますが、そんなこと気にしない人はその人なりに音楽を楽しめばいいよね!

電車好きが撮り鉄や乗り鉄に分類されるように、一般化されていないだけで音楽好きも色々と細分化されて当然だよなあ。

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